| 写真で見る宮城Maxの歴史 平成元年に仙台市が政令指定都市になったのを契機に、西多賀ワークキャンパスチームと宮城作業所チームが合併し完全なクラブチームとして結成されたのが宮城クラブです。 その後平成8年に名称変更し宮城Maxが誕生しました。当時は宮城県内で唯一の車椅子バスケットボールチームで、20名を越える登録選手を擁する大きなクラブチームでした。健常者のスタッフも充実し、東北ではトップクラスのチームでした。 宮城クラブ時代は東北選手権3連覇を果たすなど、東北地方では強豪チームでした。しかし、日本選手権大会では一回戦を勝つのが目標で、全国レベルではなかなか勝てない時代が続きました。国体予選も宮城県と仙台市に分かれて出場するため、優勝できない時代が長く続きました。 しかし、2001年の宮城国体で仙台市は3位に入り、全国にその名が知られるようになりました。そして、岩佐監督の指導力を慕って有力選手が集まってきました。 それ以後、日本選手権大会ベスト4をチームの目標として練習内容を充実させました。 さらに、2002年には大学1年生の藤本怜央が入部し、長年求めていたセンタープレーヤーを得ました。また、経験豊富な高橋浩則もMaxへ移籍し、一段とチーム力がアップしました。
2003年6月現在、東北選手権7連覇、2003年日本選手権ベスト4、国体予選はMax中心の仙台市が2連覇と今までとは比較にならないくらい強くなりました。 今のチームの目標は日本選手権優勝です。
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